黒柳徹子さんほど、「時代そのものを生きてきた」と言える芸能人は少ない。『徹子の部屋』の司会者として知られ、NHK紅白歌合戦、女優業、ベストセラー『窓ぎわのトットちゃん』、そしてユニセフ親善大使としての活動まで、その歩みは一言では語り尽くせない。
一九三三年、東京・乃木坂に生まれた黒柳さんは、バイオリニストの父とエッセイストの母のもとで育った。
戦争、疎開、終戦後の混乱を経験しながらも、やがて東洋音楽学校で声楽を学ぶ。しかし、オペラ歌手の道に限界を感じた彼女は、NHK放送劇団の試験を受けることになる。
その試験でも、会場を間違えて遅刻したり、問題が分からず答案用紙の裏に自分の長所を書き連ねたりと、普通なら不合格になってもおかしくない出来事があった。だが、約六千人の応募者の中から選ばれた十三人の一人となり、テレビ放送が始まったばかりの時代に、テレビ女優第一号として歩み始めた。
二十代の頃には、テレビとラジオのレギュラーを週十本以上抱え、睡眠時間は三時間ほどだったという。紅白歌合戦の司会を務め、舞台で演技を磨き、ニューヨーク留学を経て、後に代名詞となる“玉ねぎヘア”も生まれた。
そして一九七六年、『徹子の部屋』が始まる。
番組は一万回を超え、黒柳さんは一度も同じ衣装を着ていないという逸話まで残している。芸人を相手に独特の間で核心を突き、時に“芸人殺し”と呼ばれる場面を生みながらも、そこには相手を尊重する不思議な温かさがあった。ゲストの人生を聞き出す力は、まさに黒柳徹子さんだけの才能だった。
そんな彼女には、長い芸能人生の裏で、恋愛にまつわる噂も少なくなかった。
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引用元:https://www.youtube.com/watch?v=nMkvmn22CMw,記事の削除・修正依頼などのご相談は、下記のメールアドレスまでお気軽にお問い合わせください。[email protected]