駅前のバス停で、信じられない場面を見た。
昼過ぎ、私は用事を済ませて帰るために、いつもの路線バスを待っていた。時刻表を見ると、次の発車まではまだ10分ほどある。バスはすでに停まっていたが、運転手さんの姿は見えなかった。
少し離れた松屋の窓際に、制服姿の運転手さんが座っていた。牛丼を前に、急いでかき込むでもなく、ただ短い休憩時間を大事に使っているように見えた。
長時間の運転の合間に、やっと取れた昼ご飯なのだろう。
そこへ、スーツ姿の女性が足早に近づいていった。彼女は店の入口から運転手さんを呼び出すように手を振り、「急いでるんです。早めに出してもらえませんか」と声をかけた。
運転手さんは驚いた顔をしながらも、丁寧に説明した。
「申し訳ありません。発車時刻が決まっていますので、早く出すことはできません」
それは当然の返事だった。バスは個人のタクシーではない。時刻表どおりに動くから、ほかの乗客も安心して利用できる。
しかし女性は納得しなかった。
「私、急いでるんですけど。なのにご飯食べてるんですか?」
その声が少し大きくなり、店内の空気が止まった。
運転手さんは箸を置き、もう一度頭を下げた。
「休憩時間中です。発車時刻には必ず戻ります」
それでも女性は不満そうにスマホを取り出し、バス会社へ電話をかけ始めた。
「運転手が呑気にご飯を食べていて、早く出してくれません」
私は聞いていて、胸の奥がざわついた。運転手さんは何も悪くない。むしろ決められた時間を守ろうとしているだけだ。
早く出したら、時刻表を信じて来る人が乗れなくなる。
周りにいた数人も同じ気持ちだったのだろう。年配の男性が小さく言った。
「早く出されたら、こっちが困るよ」
発車5分前、運転手さんは食事を途中で切り上げ、店を出た。顔には疲れが見えたが、乗客にはいつも通りの声で「お待たせしました」と案内していた。
女性はまだ不満そうにしていたが、バス会社の対応は冷静だったらしい。
電話を切った彼女は、むっとした顔で黙り込んだ。
後から聞いた話では、会社側は「乗務員の休憩時間であり、定刻運行を守っただけ」として、クレームとして扱わなかったそうだ。
それを知って、少しだけ救われた気がした。
人手不足の中で、毎日ハンドルを握ってくれている運転手さんたちがいる。休憩中にご飯を食べることすら責められるなら、誰がこの仕事を続けられるのだろう。
バスは予定時刻ぴったりに発車した。誰も置いていかず、誰の予定も勝手に壊さずに。
当たり前のようで、本当はとても大切なことだと思った。