7月のある日、私が突然自宅で倒れ、救急搬送された。 当時、生後3ヶ月だった息子も一緒に病院へ連れていかれたが、夫は不倫相手とお祭りに出かけていた。 「花火が終わって不倫相手を送った後で迎えに行く」「22時か23時頃に行く」と平然と言い放つ夫。 私が救急搬送されたのは18時だった。 約束の時間を過ぎても夫は迎えに来ず、連絡すらつかない。
病院から何度電話をかけても、夫は一切電話に出なかった。
病院の明るすぎる救急搬送室で、息子は上手く眠れずにギャン泣きを続けていた。 点滴をつながれ、動けない私はミルクすらやってやることができず、見かねた看護師さんが代わりにミルクをあげてくれた。 このままでは息子がいると私は入院ですらできないし、息子の体力も限界に達していた。 頼みの綱の義両親も両親も遠方に住んでおり、すでに深夜でとても迎えに来られる状況ではなかった。 私は震える手で泣きながら、児童相談所に電話をかけた。 「パパ!早く迎えに来てよー!僕もうここ無理だよー!やだよー!」と、まるでそう叫んでいるかのように全身で泣きじゃくる息子の姿。
あの時、絶望の淵で見た息子の泣き顔と、母として何もしてあげられない無力感は、いまだに私の脳裏から一生離れない。
しかし、この最低最悪の夜が、私の人生を大きく変える反撃の狼煙となった。
児童相談所の迅速な対応と、病院に残されたカルテや私のスマホに残っていた通話履歴、さらに夫の浮気相手とのやり取り。 それらすべての証拠を、私は冷徹に、そして確実に収集し始めていた。
夫が呑気に祭りを満喫し、浮宿を送り届けて「遅くなってごめん」とヘラヘラしながら病院の扉を叩いたのは、なんと深夜0時を過ぎてからだった。
「お前、ふざけるな!」
怒りで声も出ない私に対し、夫は「仕事みたいなもんだろ、そんなに怒るなよ」と悪びれる様子すらない。
だが、その瞬間、病室のドアが静かに開き、冷たい視線を向けた警察官と児童相談所の職員、そして私の弁護士が同時に足を踏み入えた。
「あなたのその身勝手な行動、すべて記録させてもらいました」
夫の顔色が一瞬で青ざめ、息が止まったのが分かった。
妻が生死を彷徨い、我が子が病院で恐怖に震えている最中に不倫相手と祭りにはしゃいでいたクズ夫。
その言い逃れのできない証拠の数々を突きつけられた夫は、その場で膝から崩れ落ちた。
結果、私は即座に離婚を決意し、慰謝料と養育費のフル満額を勝ち取ることに成功した。 息子を危険に晒し、私の絶望を踏みにじった代償は、一文無しとなって社会的に制裁を受けるという形で、しっかりと払わせてもらった。 あの夜、涙を流した息子と私の未来を取り戻すため、私は笑顔で前を向いて歩き始めている