「500を2で割って、そこに50を足してください」
この問題を見た瞬間、私は迷わず答えを書いた。
500÷2=250。
250+50=300。
だから答えは「300」だと思った。
ところが、問題文の最後にはこう書かれていた。
「正解は『300』ではありません」
私は思わず画面を二度見した。
計算を間違えたのかと思い、スマホの電卓でもう一度確認する。
500÷2=250。
250+50=300。
何度やっても、答えは300になる。
この問題を職場のグループチャットに送ると、理系の同僚たちが次々に反応した。
「問題文がおかしくない?」
「条件が足りない」
「普通に計算したら300でしょ」
「答えが違うなら、出題ミスでは?」
そこへ、普段は数字の話を避けている文系出身の女性社員が参加した。
彼女はしばらく問題文を眺めたあと、こう返信した。
「皆さん、計算しようとしていませんか?」
その一言で、チャットの流れが止まった。
「え? 計算問題じゃないの?」
私が聞くと、彼女は落ち着いて答えた。
「問題文には『計算してください』とは書いていません」
確かに、書かれているのは、
「500を2で割って、そこに50を足してください」
という文章だけ。
彼女は続けた。
「500を2で割る、という表現は、数を計算する以外に、500というものを2つに分ける意味にも取れます」
「そのうえで、そこに50を足す。つまり、問題文だけでは“どの50を、どこに足すのか”が明確ではありません」
理系の同僚がすぐに反論した。
「でも普通は500÷2+50でしょう」
すると彼女は、画面に1枚の画像を送ってきた。
そこには、同じ問題に対する別の答えと、出題者への確認メモが写っていた。
「この問題の正解は、計算結果ではなく、問題文の曖昧さに気づくことです」
私はそこで初めて理解した。
300という答えは、数学的には自然。
しかし、問題文に「四則演算で求めよ」とは書かれていない。
つまり、300と断定する根拠もないのだ。
彼女は最後に、静かにこう書いた。
「答えを出す前に、何を問われているのかを確認する。それが文系の考え方です」
グループチャットには、しばらく誰からも返信がなかった。
そして数分後、課長から一言だけ届いた。
「この問題、明日の会議資料に使います」
その瞬間、300と即答した全員が、黙り込んだ。