朝、いつものようにスマホを見ようとしたとき、部屋のWi-Fiがつながらなくなっていることに気づいた。
最初は一時的な不具合だと思った。スマホのWi-Fiをいったん切ってつなぎ直し、ルーターのランプも確認した。それでも、接続は戻らなかった。何が原因なのか分からず、私はしばらく機器の前で立ち止まっていた。
そのとき、ドアの外に貼り紙があるのが目に入った。
近づいて読むと、手書きのメモだった。
「おはようございます。すみません。私は102号室に住んでいる3人のうちの1人です。私の部屋は急にWi-Fiがなくなったから、悪いですけど、あのWi-Fiを使いますか。よかったら、パスワードを教えてもらえませんか。毎月お金を払います。お願いします」
メモの最後には、「パスワード」と書かれた空欄があった。
私はその紙をもう一度読み返した。102号室の住人は、部屋のWi-Fiが突然使えなくなり、近くの部屋に助けを求めてきたらしい。困っているのだろうということは伝わってきた。「毎月お金を払います」とまで書いてある。急いでネットを使う必要があるのかもしれない。
けれど、私の回線を使わせるとなると、話は簡単ではなかった。Wi-Fiのパスワードを教えれば、相手は私の契約している回線に接続できる。どの程度の期間使うつもりなのか、何人が使うのか、問題が起きたときどうするのかも、メモからは分からない。
そもそも「急にWi-Fiがなくなった」というのが、回線の故障なのか、契約や機器の問題なのかも分からない。
まずは自分の部屋の回線会社や、建物の管理会社に問い合わせれば原因を確認できるかもしれない。そう考える一方で、目の前のメモには困っている人の切実さも感じられた。
私は返事を書こうとして、ペンを手に取った。すぐにパスワードを教えるのはためらわれる。でも、何も答えずにメモをはがすのも気が引ける。どう伝えれば、相手の事情を突き放さずに、自分の回線は共有できないと説明できるのだろう。
メモに書かれた「102号室」と「3人」という言葉を見て、私は相手のことをほとんど知らないのだと改めて思った。顔も、Wi-Fiが使えなくなった事情も、どのくらい困っているのかも分からない。手書きのお願いだけを頼りに、パスワードを渡すかどうか決めることになる。
困っている人を助けたい気持ちと、自分の回線を他人に使わせる不安。その2つの間で、私は返事を迷ったまま、ドアに貼られたメモを見つめていた。突然Wi-Fiが使えなくなった隣人に、どんな返事をするのがよいのか。朝から考え込んでしまった。