「申し訳ありません。書道コンクールの課題に誤りがありました」
小学校から電話が来た瞬間、私は嫌な予感がした。
受話器の向こうの先生の声は、いつもより少し重かった。
「2年生の課題についてですが……」
私は黙って続きを聞いた。
すると、
「(誤)きぼり」
「(正)きぼう」
という言葉が出てきた。
一瞬、意味が分からなかった。
「え……?」
娘が毎日練習していた文字。
何度も何度も筆を持ち直していた作品。
その課題自体が間違っていたという。
私はすぐに娘の書いた紙を見た。
そこには大きな筆文字で、
「きぼり」
と書かれていた。
墨の濃淡。
筆の入り方。
止め、はね、払い。
小さな手で一生懸命練習した跡が残っていた。
「これ、どうするの……」
胸が苦しくなった。
娘は書道が得意だったわけではない。
最初は筆の持ち方も分からなかった。
墨をこぼして服を汚した日もあった。
「もう嫌だ」
と言った日もあった。
それでも、
「上手になりたい」
と言って毎日少しずつ練習していた。
休日には家のテーブルを片付けて練習。
何十枚も書いた中から、一番きれいな1枚を選んだ。
その努力を知っていたからこそ、今回の連絡は簡単には受け止められなかった。
もちろん、先生もわざと間違えたわけではない。
学校側も確認不足だったことを謝罪してくれた。
でも、子どもにとっては大人が思う以上に大きな出来事だった。
「私、間違えちゃったの?」
娘が小さな声で聞いてきた。
その言葉を聞いた時、私はすぐ答えた。
「違うよ」
「あなたは先生に言われた課題を一生懸命書いただけ」
「頑張ったことは何も間違ってないよ」
今回、一番つらかったのは文字そのものではなかった。
頑張った子どもが、
「自分のせいかもしれない」
と思ってしまうことだった。
その後、学校から改めて説明があった。
課題の訂正について。
今後の対応について。
提出作品について。
先生方も対応に追われていたようだった。
娘の作品については、事情を説明した上で確認することになった。
結果がどうなるかは別として、
私は娘の作品を捨てることはできなかった。
なぜなら、その紙には2年生の娘が頑張った時間が全部残っているから。
間違った課題だったとしても、
流した涙。
練習した時間。
最後まで諦めなかった気持ち。
それは消えない。
今回の出来事で思った。
大人にとっては「課題の訂正」でも、
子どもにとっては「一生懸命頑張った証」なのかもしれない。
あの日、娘が書いた「きぼり」の文字。
本当は間違いではなく、
小さな手で精一杯描いた、娘だけの「きぼう」だった。