僕の名前は明(あきら)。トラバス商事で総務・事務をしている。地味な部署だが、社員が安心して働けるよう裏側を整えるのが仕事で、その誇りだけは誰にも負けないつもりだった。
今年の社員旅行は、総務が中心になって積み立ててきた旅行積立金を、上介部長の退職祝いも兼ねて「ぱっと使う」計画だった。長年お世話になった部長に、少しでも気持ちが届けば――そう思って、僕は幹事として宿も移動も、慎重に選び抜いた。
ところが出発直前、営業部の猪井さんが、当然のような顔で総務のフロアに入ってきた。
「明くん、悪いね。北海道の大型プロジェクトの下見が急に入った。だからさ、総務が予約してた社員旅行、俺たち営業が代わりに楽しむわ。支払いは100万、ありがとね」
冗談に聞こえる口調だった。しかし、彼らはすでにチケットも名簿も“自分たちのもの”に書き換えていた。総務が積み立てた金で、営業が遊ぶ――理屈が通らない。だが彼らは「会社のため」「営業は成果を出す」「総務は黙って支える側」といった言葉で押し切る気だった。
僕は一度、息を飲んだ。ここで声を荒げれば、部長の退職祝いそのものが壊れる。総務の仲間の期待も、部長の笑顔も、僕の感情で台無しになる。
だから、笑って言った。
「分かりました。どうぞ楽しんできてください」
その瞬間、猪井さんは勝ち誇ったように笑った。
「さすが総務、話が早いわ。100万、よろしく!」
――けれど、僕の頭の中では別の数字が鳴っていた。
“100万じゃない。1,000万だ。しかも後払い。”
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引用元:https://www.youtube.com/watch?v=wb-l8jSnxEQ,記事の削除・修正依頼などのご相談は、下記のメールアドレスまでお気軽にお問い合わせください。[email protected]