工場の門をくぐると、鉄の匂いと油の気配が肺の奥まで入り込んだ。夕方の薄い光が、作業服の背中を鈍く照らしている。私は胸ポケットのスマートフォンを握りしめ、妹から届いた短いメッセージを何度も読み返していた。
――「お兄ちゃん、初任給出たよ。今日は私がご馳走する。駅前の高級寿司、行こう」
車椅子の妹が、初給与で高級寿司。そんなこと、できるはずがないと、正直思った。
だが、彼女は本気だった。リハビリの合間に資格を取り、ようやく掴んだ工場の仕事。毎朝、車椅子のタイヤを拭き、制服の皺を伸ばし、緊張で青白い顔をして出勤していった。その背中を見てきたからこそ、私は「ご馳走」の意味を知っている。これは贅沢ではない。彼女が自分の人生を取り戻すための宣言だ。
だから私は、約束より少し早く工場の近くに来ていた。妹がどんな場所で働いているのか、一度この目で確かめたかった。余計な心配だと分かっていても、兄という役目は、そう簡単に外せない。
門の脇で待っていると、遠くから車椅子の軽い音が聞こえた。妹の手元の動きは、まだぎこちない。それでも彼女は笑っていた。いつもより少し、誇らしげに。
「お兄ちゃん、待った? ね、今日ね……」
言いかけた妹の声が、途中で途切れた。彼女の視線が、工場の出入口に向いたのが分かった。そこから現れたのは、腕を組み、顎を上げた男だった。作業帽の下から覗く目つきが、妙に冷たい。
「おい、まだいたのか。……ああ、兄貴か」
男は妹の車椅子を見下ろし、嘲るように笑った。
「正直言ってさ、お宅の妹さん役立たずでねw 現場は戦場なんだよ。
記事はまだ終了していません。次のページをクリックしてください
引用元:https://www.youtube.com/watch?v=EOmUfgaygbM,記事の削除・修正依頼などのご相談は、下記のメールアドレスまでお気軽にお問い合わせください。[email protected]