税務調査が入る――その一報が社内を駆け巡った日、私はいつも通り、窓際でコーヒーを冷ましながら曇天の空を眺めていた。
「また輪島さん、ぼーっとしてるよ」
「何やらせても中途半端だし、あの人ほんと窓際だよね」
背後で同僚が笑う。だが私は気にしない。そう思われることこそ、ここにいる理由だったからだ。
私は輪島了、三十五歳。中堅商社・館山物産の総務部所属。世間で言う“無能な中途採用”という評価を、私はむしろ快適に着込んでいた。目立たず、争わず、余計な責任も負わない。平凡で、単調で、変わり映えしない毎日。けれどそれは、私にとって唯一の安息だった。
――ただ、その安息は、経理部の「美人部長」が青ざめた横顔を見た瞬間、音を立てて崩れ始める。
切れた電球の交換で経理部を訪れたとき、ひいらぎ部長が険しい表情で会議室へ向かうところだった。館山物産始まって以来のエリート。華々しい経歴と凛とした美貌で知られ、普段は颯爽と歩く人が、あの日だけは明らかに動揺していた。
脚立の下で、経理の社員たちが囁く。
「税務調査、マジで来るらしい」
「架空取引疑いだって。やばくない?」
その言葉に、私は軍手を落とした。肩に落ちた軍手を払った社員が舌打ちをする。
「びっくりさせんなよ」
「申し訳ありません」
頭を下げながらも、胸の奥が嫌にざわつく。関係ない――そう言い聞かせても、ひいらぎ部長のこわばった背中が離れなかった。
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引用元:https://www.youtube.com/watch?v=I4xmqGYfzzI,記事の削除・修正依頼などのご相談は、下記のメールアドレスまでお気軽にお問い合わせください。[email protected]