二〇二五年三月十一日、午前四時四十八分。東京の病院の一室で、昭和を代表する女優であり歌手でもあったいしだあゆみさんが、静かに息を引き取った。享年七十六。死因は甲状腺機能低下症と発表された。入院してからわずか十日ほどだったとされ、所属事務所でさえ、そこまで体調が悪化していたことを十分には把握していなかったという。
かつて「街の灯りがとてもきれいね」と歌った二十歳の少女は、誰もが知る『ブルー・ライト・ヨコハマ』で一躍時代の象徴となった。
累計百五十万枚を売り上げたその曲は、横浜の夜景とともに人々の記憶に刻まれ、今なお駅のメロディとして街に流れ続けている。作詞を手がけたのは、後に妹・石田ゆりさんの夫となる中西礼さんだった。彼女の人生は、歌と家族、そして運命の男たちに深く結びついていた。
いしださんは一九四八年、長崎県佐世保市に生まれた。本名は石田良子。生後まもなく肺炎を患い、生死の境をさまよったが、当時まだ貴重だったペニシリンによって命を救われたとされる。その後、一家は大阪府池田市へ移り、商店街で喫茶店とパン屋を営んだ。四人姉妹の次女として育った彼女は、姉の影響でフィギュアスケートを始め、やがて児童劇団にも入り、舞台と芸能の世界へ足を踏み入れていく。
十三歳で舞台に立ち、やがて「いしだあゆみ」と名を改めた彼女は、歌手として、そして女優として急速に輝きを増した。だが、その表情にはいつもどこか影があった。明るく笑っていても、ふと遠くを見るような目をする。その儚さこそが、彼女をただのスターではなく、見る者の胸に残る存在にしていた。
そんな彼女の人生を大きく変えたのが、萩原健一さんとの出会いだった。
記事はまだ終了していません。次のページをクリックしてください
引用元:https://www.youtube.com/watch?v=3GAowJmMuuk&t=3s,記事の削除・修正依頼などのご相談は、下記のメールアドレスまでお気軽にお問い合わせください。[email protected]