「コメダで5時間あみ活!」——
その一言が、静かな午後より先にネットを燃やした。
写真には毛糸玉、編みかけの作品、食べ終わった皿。本人は笑顔で「楽しい時間だった〜」と投稿する。だが現実の店内は満席、入口には待ち客。子どもを連れた家族、足の悪い高齢者、仕事の合間に寄った人。みんな“少し座りたい”だけなのに、席は回らない。
店員は気づいている。でも言えない。注意すれば角が立つ、言わなければ店が回らない。いちばん困っているのは店だった。
コメント欄はすぐ二分した。
「ちゃんと注文してるなら自由でしょ」
「ここはカフェ、作業場じゃない」
正しそうな言葉同士がぶつかり、感情は事実より速く走る。誰かの“癒やし時間”が、誰かの“待ち時間”を伸ばしている現実は、画面の向こうでは見えにくい。
5時間——その数字だけが、場のバランスを静かに崩していた。
やがて店長が出てきた。声は低く、穏やか。
「お楽しみのところ申し訳ありません。混雑時はご利用時間にご配慮をお願いします」
責めない、怒らない。ただ“ルール”を伝えただけ。
空気が変わる。擁護していた人も、批判していた人も、ふっと静かになる。
彼女は毛糸をしまい、少し気まずそうに席を立った。勝ち負けはない。ただ、場の流れが元に戻った。
自由は大切。でも場所には役割がある。カフェは家じゃない。だからこそ、みんなが座れる。
最後に残ったのは感情ではなく、この当たり前だった。
「ルールは、みんなの自由を守るためにある。」
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