美智子上皇后は、皇室初の平民出身として、数々の困難を乗り越えて皇太子妃、そして皇后として日本を代表する存在となりました。しかし、その道のりは決して平坦ではなく、数々の試練と激しい反対に直面した時代でもありました。この記事では、美智子さまの生い立ちから皇太子との出会い、そして猛反対された婚約までのエピソードを振り返ります。
1934年10月20日、美智子さまは東京市本郷区(現・文京区)の東京帝国大学医学部附属病院で誕生しました。父は日清製粉グループの創業家であり、祖父は創業者の正田貞一郎。母は副島綱夫の長女で、正田家はカトリック信仰を大切にしていました。このように、美智子さまは生まれながらにして裕福な家庭環境で育ち、幼少期から一流の教育を受けました。
小学校時代は有名なカトリック校「双葉学園」
その後、名門校である精神女子学院中等科・高等科に進学。学業成績はトップクラスであり、在学中に合唱部やテニス部に所属し、テニスのトーナメントでは優勝経験も持つなど、多方面で優れた才能を発揮しました。
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