定年まであと三年。その朝、私は自分の席が消えているのを見た。机は片付けられ、引き出しには「本日付で異動」の紙一枚だけ。三十年間、一日も休まず現場を支えてきた私に、事前の説明は一切なかった。胸の奥で何かが崩れ落ち、思わず呟いた――因果応報は、必ずその身に返る。
五十代後半、会社の歯車として生きてきた人生だった。目立つ功績はなくとも、トラブルが起きれば誰よりも早く走り、後輩の失敗は自分の責任として処理してきた。
その姿勢が評価されていると、どこかで信じていた。
だが現実は違った。新しい上司が着任してから、会議の議事録には私の発言だけが残らなくなった。決裁の遅れはすべて私の判断ミスとされ、取引先には「彼の説明が不十分だった」と伝えられていたことを、別の部署からの一本の電話で知った。
同僚に問いただしても、返ってくるのは視線を逸らした沈黙だけだった。
「好きに言わせておけばいい」「何を言っても分からない人はいる」。その言葉は、私を慰めるためではなく、見捨てるための合言葉のように聞こえた。
私は抗議しなかった。争えば、残りの居場所まで失うと分かっていたからだ。
ただ一つだけ、心に刻んだ。「後ろに気を付けろ」。その忠告は、他人に向けたものではなく、自分自身への警告だった。
数か月後、件の上司は別件の不正で社内調査を受け、静かに姿を消した。誰も私に謝らなかったが、それでよかった。因果応報は、騒がずとも必ず巡ってくる。それを知った今、私は言い返す時間を、人生から切り捨てた。
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