俺――北野陸は、都内の総合病院で小児科を志す研修医だ。忙しさに追われる日々の中、第一外科部長の高梨医師に突然呼び出され、「広田製薬の社長が君を指名して、お嬢さんとのお見合いを望んでいる」と告げられた。取引先の意向とあって、断り切れず会うだけは会うことになった。
ホテルのラウンジで対面した令嬢・彩佳さんは、噂通りの美しさと聡明さを備えていた。
ただ、視線が合いづらい。社長は小声で「娘は目がほとんど機能していない」と言い、俺は胸の奥がざわついた。なのに彩佳さんは会話の端々で俺の言葉を丁寧に拾い、別れ際には必ず「握手」を求めた。まるで手の温度で“記憶”を刻むように。
だがある日、俺は保育園で彩佳さんを見かけてしまう。眼鏡をかけ、園児に囲まれて保育士のように笑っていた。見えないはずなのに――。裏切られた気がして、週末の会食で俺は社長に告げた。「この話、断ります。だっておかしいじゃないですか。結婚を考える相手に隠し事があるなんて」
社長は「どうしてだ!」と怒声を上げた。次の瞬間、彩佳さんが俯き、ぽろぽろと涙を落とした。「黙っていてごめんなさい……。
保育士は、もうすぐ辞めなきゃいけないから言えなかった。眼鏡をかければ少しだけ見えます。でも病気で、いずれ失明します」
そして彩佳さんは震える声で続けた。中学の頃、眼鏡を割って途方に暮れていた自分に手を差し伸べ、目的地まで送ってくれた少年が俺だったこと。失明が怖くて壊れそうだった心を、俺の低い声が支えたこと。だから「見えなくなる前に、もう一度会いたかった」と。
俺は言葉を失い、ただ頭を下げた。疑ったことが悔しかった。けれど彩佳さんは泣きながら微笑んだ。「結婚は無理に望んでいません。ただ、あなたの存在が私に勇気をくれるから」
――その瞬間、俺の迷いは消えた。
「俺では、だめですか」
彩佳さんは真っ赤になって、もう一度、強く俺の手を握り返した。
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