一九九三年十月二十八日。ロスタイム、イラクのヘディングが日本のゴールへ吸い込まれた瞬間、スタジアムだけでなく、日本中の時間が止まった。後に「ドーハの悲劇」と呼ばれるその夜、解説席にいた岡田武史は、目の前で夢が崩れる光景を見つめ、言葉を失った。隣には田嶋幸三の姿もあった。まだ誰も知らなかった。この二人が、のちに日本サッカーの運命を大きく動かす存在になることを。
岡田武史は、もともと派手なスターではなかった。大阪府立天王寺高校から早稲田大学へ進み、古河電工で働きながらプレーした、いわば文武両道の頭脳派。現役引退後は指導者の道に進み、ドイツ留学を経て、日本代表のコーチに就任した。そして一九九七年、フランスワールドカップ最終予選の途中で加茂周監督が更迭されると、四十一歳の岡田が突然、代表監督に抜擢された。
重すぎる椅子だった。だが岡田は、中山雅史らを呼び戻し、チームに新しい息を吹き込んだ。そしてジョホールバルでイランを破り、日本を初めてワールドカップ本大会へ導いた。
ドーハで涙をのんだ日本サッカーが、ようやく世界への扉を開いた瞬間だった。
しかし、本当の嵐はその後に待っていた。フランス大会直前、スイス合宿中に岡田は最終メンバーから三人を外す決断を下す。三浦知良、北澤豪、市川大祐。中でも衝撃が大きかったのは、もちろんカズだった。ブラジルに渡り、Jリーグブームを牽引し、日本代表の象徴として君臨してきた男。
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引用元:https://www.youtube.com/watch?v=Bgxf_WrBuSU,記事の削除・修正依頼などのご相談は、下記のメールアドレスまでお気軽にお問い合わせください。[email protected]