「やめてください、ここはお店の外です」
夜の路地で、若い女性にそう叫ばれた瞬間、五十三歳の俺は初めて理解した。さっきまで笑顔で名前を呼んでくれた相手に、今は“恐怖の対象”として見られているという現実を。たった数分前まで“特別な存在”だと思い込んでいた自分が、店を一歩出た途端、ただの危険人物に変わる――この落差こそ、俺が抱えてきた最大の勘違いだった。
その夜、俺は夜だけ灯るあの店を出たあと、無意識のまま彼女の後を追ってしまった。別に触れようとしたわけでも、声を荒げたわけでもない。ただ「ありがとう」ともう一度伝えたかっただけだ。しかし、彼女は振り向きざまに距離を取り、明らかに警戒した目で俺を見た。
後日、別の女性から聞いた話で、ようやく全てがつながった。
退店後に待ち伏せされたり、数百メートルも追いかけられたりすることは、決して珍しくないという。五十代以降の男性ほど、店内の優しさを“自分への好意”と勘違いしやすいのだと。
俺は自分の容姿が特別ひどいとは思っていない。清潔感もあるし、若い頃はそれなりにモテた。
その記憶が、今の俺を過信させていたのだ。おばさんが若いイケメンに自然にモテないのと同じで、俺たちおじさんも、若い女性の恋愛対象にはならない――そんな当たり前の現実を、俺はずっと見ないふりをしてきた。
彼女の「ここはお店の外です」という一言は、境界線だった。
それを越えた瞬間、俺は“勘違いする五十代のオジサン”という存在そのものになってしまったのである。
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