68歳の私、冬子は、結婚して40年、夫の正明に1度も名前を呼ばれたことがない。朝5時に起きて弁当を作り、午前は介護施設のパート、午後は内職、夕方は駅前ビルの清掃のバイト。3つの仕事を掛け持ちして月20万円を稼ぎ、そのうち15万円を毎月、息子夫婦へ仕送りしていた。夫の収入は年金12万円だけなのに、正明は「俺が稼いでいるから息子も安心だ」と胸を張り、通帳を1度も見たことがなかった。
ある日、嫁の歩みが「援助はいらない、自立します」と絶縁を告げた。夫は慌てて説得しようとしたが、私は静かに頷いた。「わかったわ。あなたたちがそう望むなら。」その裏で、私は3年前から準備を進めていた。援助の金額や日時、正明の暴言、嫁のSNS投稿。全てをノートとファイルに書き留めてきた。友人のよし子が紹介してくれた弁護士とも、すでに話が進んでいた。「よく耐えたわね」とよし子は言ったが、私は「耐えたんじゃない。観察して記録して、準備していただけ」と答えた。
計画実行の日、私は銀行で息子への自動送金を止め、電話番号を変え、郵便物の転送届けを出し、遺言書を書き換えた。財産は全て福祉団体へ。
息子への相続はゼロにした。荷物はダンボール3箱だけ持って、契約していた小さなアパートに移った。40年住んだ家を出た夜、誰にも気を使わずに食べる夕食は、不思議なほど美味しかった。
数日後、正明は炊飯器の使い方も、洗濯機の回し方も分からず、コンビニ弁当だけで過ごしていた。銀行で自分の口座を確認すると、息子への振り込みなど1度もされていなかったことを知る。
全て私が働いて稼いだお金から出ていたのだ。彼はようやく、自分の暮らしを40年間支えていたのが誰だったのかに気づいた。
生活が苦しくなった息子夫婦は、探偵を雇って私を探し当てた。アパートのドアの前で、歩みは土下座して謝った。「お母さん、幸海のためにも。」私はインターホン越しに答えた。「今更です。私はもう新しい人生を始めています。
」
その後、正明が住んでいた家は、もともと私の実家の遺産で購入したものだったため、弁護士を通じて退去を求められた。息子夫婦も転勤先で収入が減り、生活はさらに苦しくなった。ある日、孫の幸海が「おばあちゃんに会いたい」と1人で家を出て、警察に保護されたと風の便りで聞いた。心が痛まなかったと言えば嘘になる。それでも、私はもう振り返らないと決めていた。
私は今、好きな時間に起き、名前を呼んでもらえる職場で働き、誰にも気を使わない静かな暮らしを送っている。40年かけて、ようやく自分の人生を取り戻した。