平安時代の文学界において、その名を知らぬ者はいない「紫式部」。彼女が残した名作『源氏物語』は、千年以上経った今でも読み継がれ、まさに日本文学の宝石と呼べる存在です。しかし、そんな紫式部にも、一筋縄ではいかない「素顔」が存在していました。今回は、その知られざる紫式部の真実に迫ります。
紫式部の本名は、実は明らかにされていません。「紫式部」という名前は、彼女が使えた藤原道長の娘・彰子にちなんでつけられたものだと言われていますが、これはあくまで後世の呼び名であり、彼女の生涯そのものも、謎に包まれています。
紫式部は、藤原氏の一族に生まれましたが、彼女の家は特に裕福ではありませんでした。父親は学者肌で、彼女に漢詩や古典を教えましたが、女性が学問に励むことは当時の常識から外れた行為でした。それでも、彼女はその才能を発揮し、父親をも驚かせるほどの記憶力で、知識を吸収していきました。
紫式部は、人付き合いが苦手で、華やかな宮廷生活にも馴染めなかったと言われています。彼女の日記には、同僚の女房たちとの交流を避ける様子が描かれており、常に読書や執筆に没頭する姿が浮かび上がります。彼女にとって、文学の世界に没頭する時間は、現実逃避の手段でもあったのでしょう。
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