NHK朝ドラ『虎に翼』では、女性初の裁判官として歴史に名を刻んだ和田よし子の生涯が描かれています。今回は、彼女が裁判官採用願いを提出し、その後の人生がどのように展開したのか、そして夫の死後10年を経て、新たな恋があったのかを詳しくご紹介します。
夫を戦争で失ったよし子は、幼い息子吉太と3人の弟を養う責任を背負いました。
家族を支えるために彼女が考えたのは、女性としての限られた選択肢の中で最善の道を見つけることでした。そこで彼女がたどり着いたのが「裁判官になる」という決意でした。新しい憲法が男女平等を謳い、女性にも裁判官になる道が開かれると信じていました。
1947年3月、よし子は一人で司法省に赴き、裁判官採用願いを提出しました。当時の人事課長だった石田和はその申し出を受け取ったものの、まだ男女平等が実際の法律に完全に反映されていない中で、女性を裁判官に採用するかどうかを迷いました。
最終的に、彼女は裁判官ではなく、司法省の民事部での卓職に採用されることとなりました。
1947年6月から、よし子は司法省民事部で民法改正作業に携わりました。そこで彼女が学んだことは、後の裁判官としての活動に大きな影響を与えるものとなります。男女平等を追求する新しい民法が次々と策定され、女性が家父長制の束縛から解放される時代が始まりました。
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