凍えるような風が吹き抜ける真冬の夕暮れ。山間にある古いため池の堤防には、人の気配がほとんどなかった。冷たい雪混じりの風が吹き付ける中、一人の高齢女性が小さな風呂敷包みを抱え、静かに座り込んでいた。
その女性の名前は、佐藤和子、八十二歳。長年、家族のために尽くしてきた母親だった。しかし近年、認知症の症状が進み、日常生活にも支障が出るようになっていた。
息子の健一は、母の介護を続けていた。仕事と介護の両立に疲れ果て、周囲からの助けも十分に得られない中で、次第に心の余裕を失っていった。
「もう自分には無理なんだ……」
健一は、何度もそう思うようになっていた。
そしてある冬の日、健一は母を車に乗せた。
「少し景色のいい場所に行こう」
そう言って連れ出した先が、あのため池の堤防だった。
和子は何も疑わず、助手席から流れる景色を眺めていた。昔、夫と一緒にこの地域を訪れたことを思い出し、穏やかな表情を浮かべていた。
「健一、昔ここに来たことがあるね」
母のその言葉に、息子は一瞬だけ胸を締め付けられた。
しかし、健一は何も答えなかった。
車を止めると、母を降ろし、風呂敷包みを手渡した。
「ここで少し待っていて。すぐ戻るから」
そう告げると、健一は車に乗り込んだ。
和子は不安そうな顔で息子を見つめた。
「健一……帰ってくるんだよね?」
その声に、息子の手が一瞬止まった。
だが、健一は振り返ることができなかった。
エンジン音が響き、車はゆっくりと堤防を離れていく。
記事はまだ終了していません。次のページをクリックしてください
引用元:https://www.youtube.com/watch?v=tcFZvStqRq0,記事の削除・修正依頼などのご相談は、下記のメールアドレスまでお気軽にお問い合わせください。[email protected]