昭和天皇と香淳皇后の間には、7人の子供たちが生まれ、その中でも4人の内親王たちは特に注目を集めました。彼女たちは、時代の流れに翻弄されながらも、皇族としての使命を全うし、それぞれの道を歩んでいきました。今回は、特に四女である厚子内親王と、末っ子の貴子内親王に焦点を当て、その生涯を振り返ります。
厚子内親王は、1931年3月7日に昭和天皇と香淳皇后の四女として誕生しました。学業成績はそれほど優秀ではなかったと伝えられていますが、学習院女子短期大学に進学し、文化学部家庭生活課を修了しました。彼女の学業時代における興味深いエピソードとして、体育大会で徒競走のスタート合図に反対方向へ走り出したという逸話もあります。
彼女の結婚は、皇族としても一風変わったものでした。1951年、岡山県を訪問した際に、池田動物園の経営者であり、元岡山藩主家の池田家15代目・池田隆政との縁談が極秘で進められました。岡山池田家は旧大名家であり、遠い親戚関係にあったため、この結婚は皇室と地方の結びつきとしても注目されました。
当時、皇族と地方の牧場経営者との結婚は異例で、国民にとっては衝撃的なニュースでしたが、これにより皇室がより身近に感じられるようになったと評判でした。1952年の婚礼の際には、バスツアーの観光客が数千人集まり、熱狂的に祝福されたといいます。
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