秩父宮勢津子妃殿下(せつこひでんか)は、昭和天皇の弟、秩父宮雍仁親王(やすひとしんのう)の妻として、激動の昭和から平成にかけての皇室の一翼を担った人物です。その生涯は、皇室だけでなく、日本の歴史や国際社会との繋がりを強く感じさせるものです。この記事では、彼女の生い立ちから晩年まで、主要なエピソードを紐解いていきます。
1909年、勢津子妃はロンドン郊外に誕生しました。彼女の父、松平恒雄(まつだいらつねお)は旧会津藩主の四男で、母・宣子(のぶこ)は佐賀藩主鍋島家の娘。彼女は、名門中の名門に生まれ、幼い頃から国際的な感覚と伝統を兼ね備えた環境で育ちました。幼少期には、ロンドンでの生活を経て、家族とともに中国やアメリカへと移り住みました。ワシントンD.C.のフレンドスクールで学び、英語にも堪能な帰国子女として成長しました。
1928年、勢津子妃は、昭和天皇の弟、秩父宮雍仁親王との結婚が決定します。当時、皇族の妃は公爵家から選ばれるのが常でしたが、彼女は特例として平民の家から皇族入りを果たしました。この背景には、定年皇后が勢津子妃の品位と知性を高く評価したことがありました。
結婚に至るまで、勢津子妃と秩父宮の間にはロマンスが存在していたかのように報じられましたが、実際には二人が初めて正式に顔を合わせたのは結婚が決まった後のことだったと言われています。
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