今朝、山手線が止まった瞬間、東京は一度だけ息を止めた。
昭和なら、誰かが舌打ちしながらも歩き出していたはずの光景で、令和の私たちは立ち尽くしていた。
駅は静かだった。だがその静けさの裏側で、焦りと不安が確かにうごめいていた。
スマホを握りしめる手、行き場を失った視線、動けない足――。
たった数分のトラブルで、私たちの“当たり前”は音を立てて揺らいだ。
山手線が止まった朝、
私たちは初めて気づかされた。――“当たり前”は、こんなにももろいのだと。
ふと、昭和のある朝を思い出す。
まだ駅に電光掲示板がなく、ホームには手書きの案内板しかなかった頃。
台風の影響で電車が止まり、駅員が拡声器で「復旧の見込みは立っていません」と繰り返していた。
それでも人々は今のように固まってはいなかった。
サラリーマンは煙草に火をつけ、「まあ、仕方ねえな」と肩をすくめ、
学生たちは笑いながら線路沿いを歩き始めた。
年配の女性は、見知らぬ人に「この先の橋を渡ればバスがあるよ」と声をかけ、
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