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鼻咽頭がん、ステージ4。まだ二十歳です。 先日、MRI(磁気共鳴)の結果を聞きに、弟と一緒に大学病院の外来へ行きました。 この一年、抗がん剤も放射線も免疫療法も、一通りやれることは全部やってきました。 だからこそ、私は「次はどうするのか」を聞きに行ったつもりでした。 まさか「もう何もありません」と言われるとは、どこかで信じていなかったんだと思います。 担当医にこれまでの経過を説明すると…。(続)
2025/12/30

弟が「もう治療できません」と言われました。

鼻咽頭がん、ステージ4。まだ二十歳です。

先日、MRI(磁気共鳴)の結果を聞きに、弟と一緒に大学病院の外来へ行きました。

この一年、抗がん剤も放射線も免疫療法も、一通りやれることは全部やってきました。

だからこそ、私は「次はどうするのか」を聞きに行ったつもりでした。

まさか「もう何もありません」と言われるとは、どこかで信じていなかったんだと思います。

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担当医にこれまでの経過を説明すると、

「化学療法も放射線も免疫も、すべて試しましたが、効果がありませんでした。正直、私たちにできることはもうありません」

そう、淡々と言われました。

それでも諦めきれず、食い下がりました。

「他に、どこか別の方法はないんでしょうか」

すると先生は、すぐに別の科の先生に電話をかけてくれて、

「こちらのチームで何かできないか、一度相談してみましょう」と言ってくれました。

ただ、その先生の外来はすでに予約でいっぱい。

私たちは予約なしの飛び込みなので、

「予約の患者さんが全員終わるまで、外でお待ちください」

と言われ、延々と廊下のベンチで待つことになりました。

弟は、ほとんど見えない目で床をじっと見て、何も言いません。

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私はスマホを見るふりをしながら、心の中でずっと祈っていました。

「どうか、“まだやれることがある”と言ってください」と。

やっと名前を呼ばれたのは、診察時間も終わりかけの頃でした。

診察室に入ると、先生はカルテをさっとめくって、一言。

「…これは、正直もう治療はできませんね」

頭が真っ白になりました。

私はなんとか声を絞り出して聞きました。

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