昭和のテレビ業界で一世を風靡した「かしまし娘」は、その名の通り、正司歌江さん、花江さん、そして照枝さんの三姉妹による軽快な漫才コンビでした。全国的にテレビで人気を博し、彼女たちの活躍は多くの視聴者を笑顔にしていました。しかし、その華やかな表舞台の裏には、知られざる苦労や厳しい現実がありました。そして、歌江さんが直面した「突然の引退勧告」は、まさに彼女たちの過酷な生活を象徴する出来事だったのです。
売れっ子芸人の過酷な日々
「かしまし娘」が全国的に有名になったのは、テレビが普及し始めた頃のことでした。最初は生放送で、舞台からの中継という形式での出演が主流でしたが、次第にVTRが導入され、収録という形態が増えていきました。その結果、彼女たちは舞台が終わるとすぐにテレビ局に向かい、収録に入るという忙しい生活を送ることになりました。
特に1964年、東海道新幹線が開通してからは、東京と大阪を頻繁に行き来する日々が続きました。
歌江さんは「花江ちゃんが新幹線のホームに先に走って、足でドアを止めて『お姉ちゃん、早く!』って叫ぶこともあった」と、当時の忙しさを回顧しています。彼女たちは、まるで休む暇もなく次から次へと仕事に追われ、寝る時間さえ十分に確保できない日々が続いていました。
そんな中でも、正司三姉妹はプロフェッショナルとしての姿勢を崩すことなく、タクシーの中で台本を覚え、ネタ合わせをし、テレビ局に着いてすぐに漫才を披露するという緊張感に満ちた生活を続けていました。
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