久米愛は1911年、大阪で生まれました。父は電力会社の社長という裕福な家庭で育ちましたが、幼い頃から社会の不平等に対して疑問を抱いていました。特に、男性が主導する社会で女性が平等に扱われない現実に対して強い反発心を持ち、いつか自分がこの不公正を変えたいと強く思うようになります。
1930年代、日本ではまだ女性が法律家になることは極めて困難な時代でした。しかし、1936年に久米は明治大学専門部女子部に入学し、法律を学ぶ道を選びました。当時、日本における女性法律家は非常に少なく、彼女はこの道を進む中で様々な壁にぶつかりましたが、その意志の強さで全てを乗り越えていきます。
1938年、結婚後も法律の勉強に励み、夫が北九州で働いていたこともあり、二人は手紙で心を通わせ続けました。その後、1938年には司法試験(当時の高等文官試験)に挑戦し、見事合格。久米愛は、三淵義子や中田正子と共に、初の女性法律家の一人として名を連ねました。これにより、社会進出を目指す女性たちの希望の星として一躍注目を集める存在となります。
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